スケッチして抱きしめる
今年に入って絵を描くことが増えた。
ボロボロの赤コーンが、柱にガムテープで固定されることでなんとか形を保っていて、すごいハグみたいだと思った pic.twitter.com/eH3fYuwW9d
— 水上公園 (@3z4bf5) 2022年9月15日
そもそもは、画像をあげたいけど撮影や投稿の段階で躊躇を伴うという状況で手段として絵を描いていた。個人情報の特定につながる写り込みを防ぐなどといったネットリテラシーを守りつつインターネットで公開したいという目的を達成するための手段。だから創作だと思ってやっていない。
大学で建築の授業を取って平行定規を使ったパースの描き方を教わったりゼミで人体の構造を学ぶために『ソッカの美術解剖学ノート』を輪読したりした。中高で美術を選択せずあまり触れてこなかったので、大学でかじることができるのは嬉しい。ちょっと上手くなるとお絵かきが楽しくなっていって、最近はA6のスケッチブックを持ち歩いている。SNSにあげることを目的としないスケッチもある。人からもらった食べ物のパッケージを忠実に描く、いい表情をしている友人の写真を模写してみる。線だけのスケッチでもある程度は時間がかかる。その間は別のことをあまり考えない。ここにあるな...こことここの距離はこのくらい...とか眺めて観察して描く。写真をおこす時はピンチアウトとして細部を見る。それで初めて気づくこともある*1。
ある時寿司がどうしても食べたくて、じっくりと寿司を描いて欲求を鎮めた*2。描いてる時には対象物のことを見て考える、頭の中に目立つところにどーんと据える。そうして気が済んだんだと思う。
覚えておきたいものや欲しいものをスケッチするのは自分なりの物事を大切にする方法だ。見返すと対象物本体と描いた時の自分を二重に思い出せてお得だ。写真、文章、詩歌、曲、リリック、音声、ツイート、全部の記録メディア*3に共通することかもしれない。記録がさ好きなんだよね...。