4連勤が終了した。8時間かける4!
8月に調子を崩して、早退や欠勤をして、発作で倒れて、また倒れて、その日が最終勤務日になって、
割愛するけどいろいろあって、
できなくなっちゃったことがまたできるようになったのってとっても嬉しい。嬉しくて、帰り道嬉し泣きして帰った。嬉し泣きって嬉しい!!
なにより自分の自信になる。
引き続きやってくぜ。
4連勤が終了した。8時間かける4!
8月に調子を崩して、早退や欠勤をして、発作で倒れて、また倒れて、その日が最終勤務日になって、
割愛するけどいろいろあって、
できなくなっちゃったことがまたできるようになったのってとっても嬉しい。嬉しくて、帰り道嬉し泣きして帰った。嬉し泣きって嬉しい!!
なにより自分の自信になる。
引き続きやってくぜ。
3時まで眠れず起きていた。要因はなんとなく見当がつく。脆いなと思う。しょうがないね〜、
お昼ご飯を食べる約束をしてたので、ダラダラするのを切り上げて準備に取り掛かった。いつもより自分がスローな感覚があって、変な感じがした。家を出ると、部活帰りらしき未成年とすれ違う。ボールのたくさん入ったナイロンの袋を肩にかけ、ベンチコートに身を包んでいる。まだ冬休みかーーと思う。電車に乗って待ち合わせの駅へ。ドトールの前らへんで待っていてね、と言われるので立っていると、すぐそばで私立小学校の制服を着た小さい子供が電話をしながら泣いている。通りすがりの人が大丈夫?とか声をかけるけど、首をふって振り払っている。気になって見てしまう、なんとなくだけど、わたしは子供の頃の感覚がぎりぎりまだ自分の中に残っている感じがあって、それに基づくとこういう時に大人がよってたかって構ってくるともっとパニックになりそうだなと思って、ただ見ていた。なんか、自分まで泣きそうになった。結局、声をかけていたおばさんが交番からおまわりさんを呼んできてた。ぼくちゃんどうしたなーって言ってた。ぼくちゃんて。いまこれを書いてる時でさえ、あの小学生が無事に安心を得ているか気になってしまう。知る由もないんですけどね。
バイト中も自分がもたついてる感覚が抜けなかった。そして風がとても強い。出勤して2時間で休憩をもらって、"なんか元気が出ないよーー"ってLINEで泣きついたら、出なくてもいいと考えることを提案される。確かにねと思う。いつもの自分と違うことにべつにびっくりしなくてもいいのかもしれないね。おおらかでいたい。もっと自分を受け入れたい。風強い日もあるしね。
風強いでいうと、帰り道高架下の交差点のところで向かい風が本当に強すぎて手を握りこまないと前に進めなくて、そんなのはじめてで面白かった。
バケットを大まかに切ってかぶりついて、朝ごはんとした。咀嚼してるとなんとなく落ち着くから、まだまだストレスイーティングしてるんだと思う。わたしはなにが不安なんだろうな、助けてくれる人はこんなにいっぱいいるのになあ、自分を信用しきれてないんだろね、。いまふと思い出したのだけど、昼間に私の前を通りすぎていった親子がいて、親御さんの方が「約束って守るためにあるんでしょ?」とおっしゃっていた。わたしはわたしとの約束をあんまり守ってない。てか期待しすぎてるところがある。
通勤路にあるスーパーで日替わり弁当のロコモコ丼を買って持って行った。あんまり美味しくなかった。いろんな店のひとがそれぞれの制服をきて休憩室で食事をとってるのなんか面白い。昨日も思ったし、これからもそうなんだと思う。夕方のニュースがついていて、景気が悪いので節約を頑張りましょう!という特集をやっていて心底嫌になる。
閉店前の1〜2時間は売るものも少なく買う人も少なく、雑談が多くなる。気持ちが疲れてしまった。心を許してない人に、わたしの歴史を話したくない。悪口に相槌も打ちたくない。
部屋で布団にくるまってるだけでは味わえない感情になれるのも、仕事の醍醐味だと思うことにする。大きなハプニングがなく退勤できてよかった。
帰り道セブンイレブンでレトルトのお粥買って帰った。湯煎して、おなかに入れて、横になった。
仕事始めの日。2026年初めての仕事というだけではなく、新しい職場での1発目だった。お店なんですけど、オープンから入れる人募集中!クローズまで入れる人募集中!のふたつが書いてあって絶対起きれないと思って昼下がりからの要員にしてもらっている。実際、朝に目覚めたものの眠ったり微睡んだりしている時間がたっぷりあった。
食べかけのシリアルがあったはずなのにどこを探してもない。口はもうシリアルになってる。ないわけないと思いながら目ぼしいところを三周くらいした。探し物をしている時間が本当にきらい。探し物をしているとき、なくしものをした自分に向き合う必要がある。でももう一人暮らしだからなくしものをした自分を非難したり、あと自分よりわなわなしたりするひとはいない。わたしがわたしを非難しなければいい。シリアルはチョコ味だったので、ルマンドとヨーグルトを食べていいことにした。いいわけないけど、。
時間をかけて身支度をする。出勤までに勉強しようかなーと思ったけど、今日は仕事場に行って帰ってきたらいいことにしようと思ってなにもしなかった。1時間くらい早く家を出る。最寄りのセブンイレブンで親子丼買って、チンしてもらって、駅前のベンチでゆっくり食べた。太陽を浴びながらご飯を食べるのが好き。中学生の男の子と女の子が知り合い同士で出会したみたいだけど、あんまり盛り上がってなさそうでおもしろかった。お互い帰るタイミングを探していそうな感じ。2人の別れを見守る前に食べ終わったので電車に乗る。
8時間弱働いた。そんなにしんどくなかった、嬉しい。
大晦日の夜に帰宅をして、そこから掃除を始めた。大掃除というよりかは、部屋のちらかりを収めるような掃除だ。第一、11月に入居した家だからそんなに汚れてはいないはず。玄関先で食用品を保管するのに使っていた小さい棚を、居室の机の横に持ってきたりした。
掃除の時にかけていたのは、チャットモンチー『生命力』や橋本絵莉子『日記を燃やして』。この一年でおこった変化の一つなのだが、音声コンテンツをまるきり聞かなくなった。代わりにいろんな音楽を聞いている。あと最近YouTubeでミュージックビデオをちょこちょこ見てる。
気がついたら日付の変わる頃。あいさつを送ってみる。こんなことしたのははじめてかも。ここ数年、友達のことひとりひとりをより大切に思うようになった。思いついたら気軽に誘ってみるときがある。でも、ひとつ歳をとってわかったのは、たくさん会えば会うほど仲良しってわけでもない。ふだん連絡をとっていないけど、ふとしたときにあなたを思い出すという間柄も、私にとっては大切です。これまで生きてきたなかでの無数の記憶ひとつひとつが私を構成しているのではないかと考えるとかがあって、もしそうだとしたら、あの時のかかわりも今の自分に格納されているとかおもう。
7時くらいに起きる。部屋の片付けの途中。溜まった洗濯物が山のようにあるけれど、絶対に間に合わないので浴室に移動させて、それでいいことにする。満点じゃなくて及第点を目指したいきたいのかもしれない。
大学の友達に抱負を聞かれて、メッセージのLINEをしているなかで
「なんかわたしはついつい欲張りになっちゃって高い理想をかかげてそれを達成できなくてむかついたり、頑張りすぎてコケたりするから、小さい目標をたくさんクリアできるようにという心構えでやっていきたい😌」
と私は述べていた。
ほんとにそうなんだよなー。でも、小さい目標をたくさん、というところにまだ欲張りが残っているね。
13時ごろ最寄駅に友人がつくらしかったので迎えに行く。神社が混んでいるのを左手に見ながら河原に向かった。空が大きい。誰かが向こう岸でトランペットか何かを吹いていて、それが遠くに聞こえていてよかった。川での思い出をたくさんつくりたい。悔し泣きをしたいとさえ思う。
元日でも空いているスーパー(←ありがたすぎ)に行き食べ物を買う。昼食に選ばれたのは手巻き寿司とピザとたこ焼き。高級カニカマも買う。レジを担当してくれたスタッフの方のエプロンに馬がふたつついていてうれしい。
わたしの家に向かい、サンボマスターのDVDを見ながらもそもそ食べる。M1のめぞんのネタ、わたしは好きだった。2005年のフジロックの映像とかあって、山口さんのMCによると45000人が集まっていたとのことだが、ここに映っている人は今何をしているのかなとか考える。20、30代の若者だった人は中年を迎えていることが多いだろう。そろそろ管理職とかしてるのかな、とか。当たり前すぎて意識しないことだけど、記録って時空を超えるからすごい。
食後は書き初めをする。河川敷、スキップ、水餃子、ラジオ体操、近道、喫茶店、丁寧、ラッシー、深呼吸。信念とか身を引き締める言葉みたいなのじゃなくて、なんとなく気持ちがほぐれるような言葉を選んだ。たのしかった!宮脇咲良が編み物を流行らせたみたいな感じで、わたしにより毛筆が流行ってほしい。
子どもならではの無邪気な視線で、満員電車に揺られている大人をみた時、その人はまったく意味のないパズルゲームを死んだ顔でプレイしていて、そのひとは大人になることについて絶望する。
よくある話だ。
大ヒット映画、というか、大物議を醸した坂本裕二監督の映画『花束みたいな恋をした』では
クリエイター志望だった麦くんが、ハードワークに勤しむ中で文化的なコンテンツに触れる時間がなくなり、パズドラだけが彼の心を癒す拠り所だった、という描写がある。
パズルゲームをしている時間は、べつに、パズルを楽しんでいるわけではないんだとおもう。
まあ、わたしは、という話ですけど。
テトリスをプレイすることがメンタル疾患を持つ人のストレスを和らげる、みたいな科学的データを見たことがある。
実感として私もそう思う。ブロックが落ちてくるまでの時間に追われて、色とか形とか作戦について考えている間は、自分が嫌いとか人に愛されないとか金がないとか性欲が満たされないとか、そういうことは頭の中から追いやられる。
だって絶えずブロックは落ちてくるのだからね、
私が言いたいのは、パズルゲームは逃避というかたちの、自分をストレスから守るための手段なのではないかということ。
べつに目的としてやってるわけじゃないんじゃないのってこと。
死んだ顔で通勤電車でパズルゲームをすることで、オフィスに到着したあとやりたくないと思いながらも8時間労働をする。それが社会を支える、あるいは新しい価値を生み出す。だれかの暮らしに笑顔を届ける。誰かの困難をわずかばかり取り除く。その結果疲れる。うまくいかなくて上司に小言を言われる。その結果ストレスが蓄積する。理想と現実はかけ離れている。
それをどうにかするために帰りの電車で死んだ顔でパズルゲームをする。家について、一人暮らしの部屋でカップラーメンをすする。素晴らしいとは言えないけど、毎日好きなご飯がたべれるから及第点なのではないかと思う。クソみたいな現実だけど、明日は定時より15分早く出社してみようとか思う。
知らないですけど。
わたしの妄想ですけど、ぜんぶ。
死んだ顔でパズドラをしているひとへ、わたしは最高にかっこいいと思います。毎日お疲れ様です。応援していますよ。
2024年12月4日は、Kという生花販売の会社の入社日だった。
はじめてフルタイム労働をした。朝から晩まで店頭に立っていた。
去年の今頃、入社準備をしながら、
ファーストキャリアが花屋というのはどことなくファンシーでいいなとか、ふわふわ思っていた。
花屋の仕事はサービス業であり、技術職でもあり、肉体労働であり、水仕事だ。
それでもなお、ひとはみな花屋のことを素敵な職業だと思っている。わたしが花屋やってます、とか、花屋で働いてました、とかいうたびにみなが口を揃えて素敵なしごとですね、と言った。
素敵じゃない仕事はあまりないよ、えっと、武器屋とか以外。
疲れた時とかどうしようもなくなった時に、駅中の花屋で深呼吸をするのが23歳ごろのわたしのちょっとしたルーティーンだった。食卓に花瓶を飾るような家庭で育ったとかでは全くなく、幼少期の将来の夢は宇宙飛行士だったらしい。
小売業に就きたいというのを思っていて、商材はなにがいいかなと考える中で、たまたま生花販売の会社とご縁があって入社したという経緯だ。
小売業と接客業は学生時代にしたことがあったものの、花の仕事は初めてで、たくさんのことを吸収させていただいた。
花は愛を伝えるコミュニケーションツール。花っていつかは枯れますから、贈った花じゃなくて、花を贈ることに意味がある。わたしは贈答用にお花を買って行かれる方々を眺めながらそのようなことを考えていました。
この色はあの子っぽいとか、旬のこの花を入れたいとか、方略を練っているお客様。
紫色が好きな人だったんです、と静かに呟きながらお供え用のアレンジの予約をしてくださる方。プレゼントを選ぶ時間って、贈る相手のことをめちゃくちゃ考えるよね。
それともう一つ考えていたことは、生花の管理をするようなまめさで、自分のことを世話してやれば、いいのかもしれないなということです。
わたしは自分のことを大切にするのが苦手で、本心では自分が一番世界でどうでもいい存在だとか思っちゃってるわけです。
でもお水飲まないと元気なくなっちゃう。暑いとへろへろになる。この夏はほんとうに暑かった。しんどかった。入荷した花を並べるときに、それらが一番綺麗になるようにしてあげてね、と先輩や店長に教えていただいた。演出って大事ですよね、ときどき馬鹿みたいだと思ってしまうけど、でもひとは忙しくて、本質的なことまでたどり着く時間はあんまり持ち合わせてないから、演出というかプレゼンテーションの方法というか、そういうのが大事っぽい。
あんまり関係ないけど最近は背筋を伸ばして歩くようにしている。浪人生していた頃とか、下見て歩きすぎて、予備校の同級生たちがどんなスニーカーを履いていたかいまだに覚えている。スタンスミスを履いていた方へ、注意欠陥のわたしが消しゴムを落とすたびにひろってくれてありがとうございました。
とりとめのないことを考えながら、繁忙期のしこみ作業をするのが好きだった。
学校で勉強する期間が終わって、労働者として生活を送るようになって、いろいろ変わったと思う。つまらなくもなったと思う。でも良くなっているとも思う。
2年目はもう少し力を抜く!!住民税!やめてください!!!